とりとめない文章

気になった作品の感想を保管しています。他のとりとめないことを書いたりもします。

最後の夜 予約投稿

 思えば、誰にも助けられることのない人生だった。それでも22年間も生きてこれたのだから、それはむしろ素晴らしいことだと思う。奇跡のような人生だった。

それに加えて、少なくとも自分にとって大切な人が、心から幸せを願える人ができたのだから、これは奇跡に奇跡に重ねたような、それをなんと呼んだらいいのか分からないけれど、良いものだったと思う。

世界というやつは、心の写し鏡だ。そして僕の心はもう、死んでしまった。最後の一滴を捻りだして、もう、何も残っていない。あとはこの肉体という、空っぽの抜け殻を捨ててやるだけだ。少しだけ怖いけれど、それも一瞬だ。造作もない。

最後の夜は、素晴らしかった。8月の終わり。死んだ目でレジ打ちをする中年の深夜のコンビニバイトも、ホテルの屋上で黄昏る外国人も、ほろ酔いで騒ぐ観光客も、街頭も、タクシーも、信号も、交差点も、全てが美しい。世界はこんなにも美しい。

けれども、僕の心はもう、蘇生しない。全てが美しい一方で、全ては平坦で、心は何も答えてくれない。少しだけ自分を慰めてやった。お前はよく頑張ったと、それが自分の言葉でしかないことがどうしようもなく虚しかったけれど、何かが報われたようで視界が少しだけ潤んだ。

もう、流れるほどの涙も残っていないのだな、と思った。それはそうだ、僕はこの期に及んで何も後悔していないし、少しだけ寂しいだけなのだ。それは心をなくしてしまっているからなのかもしれないし、ただ現実を受け止めていないだけかもしれないし、本当のことは何も分からない。

音楽と文章に少しだけ救われたこともあった。世界は優しくないけれど、それでも優しい人が、世界を少しだけ優しく塗り替えてやろうと、一生懸命に何かを残してくれる。それは彼らの自己満足であるが、一方で、その優しさに救われる人も大勢いる。

そういう人になれたらよかったな、と思う。世界は優しくないし、僕が心から安心できることもないのだから、せめて与える側になれたら、それはとても素敵なことのはずだった。

だから僕はつい、最後にそういうことを夢見てしまって、余計なことをした。彼女に傷を負わせてしまったかもしれない。本当に余計なことをした。本当はそんな余計な言葉は必要なかったのだ。ありがとう、とただ一言、それだけ届けていれば、それでよかったはずなんだ。もし彼女がこれを読んでくれているなら、本当に何も気にする必要はないのだということを伝えたい。どうか夏を嫌いにならないで。あなたにとって一番好きな季節のまま、とっておいてほしい。それと、ありがとう。

僕の辛いことも、怨念のような叫びも、きっとどこかにある、誰にも見られたくないけれど、誰かに知ってほしい。そういう願いが、願望が、常にどこかにあるから、つい、それに従ってしまった。つい、言葉にして、どこかに置いてしまった。それは決して良いことではない。見た人の心に影を落とすだけの行為だ。

何を書きたくてこの文章を書いているのか、本当は自分でも分からない。もう、何も書く必要はない気がするし、まだ書き残したことがあるような気もする。一度は書き尽くしたと思っていたのに。この感覚はいつまでも消えない。全てが蛇足なのかもしれない。しかし、蛇足とはなんだろう。もとよりちっぽけで価値があるのかどうかさえ分からない僕だ。だとしたら何も関係ないはずだろう?

本当に書きたいこと。それは、何だろう。きっとそれは言葉では表せないことだ。一言で表せるような気もするし、どれだけ書いても足らないような気がする。だから、それはきっと言葉では表せないことなんだと思う。

答えが、出た、出てしまった。もう、終わりが近付いている。

どんな言葉で締めくくったらいいんだろうな。分からないや。

だから、僕が人生で一番好きだった言葉で締め括ろうと思う。

 

さようなら、ロックンロール。